認知症の方から学ぶ暮らし方・生き方
asuwaga.com〜老いてもひんぱいせんかってええんやでぇ
 
全国津々浦々からの受信箱
 
   

●ある日その1

私が「せーちゃん」になった日の話。

●ある日その2

まつさんと日向ぼっこ

●ある日その3

まつさんの片思い

●ある日その4

人情派のまつさん。〜『せーちゃん』と『せーちゃん』〜

●ある日その5

「どなたさんも、おはようさん!」

●ある日その6

昼食中のこと・・・。

●ある日その7

世の中を泳ぐ大切な心構え

●ある日その8

「まじない」

●ある日その9

初めてのトイレ介助。

●ある日その10

私が「せーちゃん」ではないことが知れた日の話。

●ある日その11

まつさんの日課シリーズ
  @昼食準備 Aまつさんのおやつ準備 Bお茶碗洗い

●ある日その12

リハビリパンツの財布?!

●ある日その13

選挙がやってきた!!

●ある日その14

まつさん、店員に間違われる・・・

●ある日その15

まつさんとシップ薬

●ある日その16

まつさん、はじめてのショートステイ。

●ある日その17

まつさんと魚。

●ある日その18

まつさんとらーめん。

●ある日その19

まつさん、号泣。

●ある日その20

まつさん、流の努責。

●ある日その21

まつさんの食欲 〜画鋲事件〜

●ある日その22

まつさんとストロー



まつさんは、自宅で転倒され、腰椎圧迫骨折で入院された。しばらくの間デイサービスを休まれたが、またお元気に来所してくださる日がやってきた。入院前は杖歩行で歩幅がやや狭いスタイルで歩行されていた。平行棒で膝を臍の位置まで上げて、下肢の筋力UPに励んでおられた。しかし、入院後は歩行器を使用されていた。お顔も少し老けられた感じがした。そんな印象を持った、利用再開の一日目の出来事である。 午前中は以前と同じように過ごされていた。昼食後、デイルームのベッドでお昼寝をされた。1時間もしないうちにまつさんは起床された。すると、まつさんの形相が一転していることに驚いた。おだやかな表情であったのが、眉間にしわをよせ、声を荒げた。「もういぬ!!」「どけ!!」とかなり強い口調で話した。あまりの様子の変化に、当時の守沢所長と私は何がどうなったのかわからなかった。しばらくまつさんの話しを聞いていると、どうやらデイサービスを病院だと思われ、退院したいと必死に話されていた。とにかく帰宅したいと強く話されているまつさんに、他のケアワーカーも驚き、安心してもらおうと、「時間になったら、家に送ります。」とみんな話しかけた。 ところが、まったく効果はなかった。まつさんはスタッフみんなが「送ります。」といいながら裏切るのではないかと、非常に心配されるようになり、パニック状態になった。
声をかけると、余計に混乱されるため、私は私が使っていたデスク前にまつさんに座ってもらい、ノートを書き始めた。 まつさんは私のことは気にもされず、行ったり来たりするスタッフにイライラされていた。そのうちに「あそこの、赤い服着てる奴、何笑ってるんやーー!!」とか「40万払ったのに、送ってもくれない!警察呼んだんどーー!!」とか叫んでいらして、混乱されており大変お辛そうなまつさんだった。当時の石原所長は、このイライラの的だった。石原所長が通るたびに「警察呼んだんどーー!!」と、まつさんは叫んでいた。
なす術がなく困っていたとき、まつさんが、「ここの奴は役に立たん。あかんで。せーちゃん。」と、急に落ち着いて話された。「えっ?せーちゃん?」と私が言うと、「あんたせーちゃんやろ?」とまつさんが聞き返してこられた。「もうここで『せーちゃん』にならないと・・・」と覚悟を決めて、「そう。」と返事をしてしまった。この時がせーちゃん誕生である。
まつさんは「せーちゃん、送ってくれるかぁ?」と私に話しかけられた。私は「仕事があるから出来ないけど、ここの人が送ってくれると思います。」と答えると、納得された。しかしまつさんは、行き来するスタッフの顔をジーっと見据えていた。
次の日から、私は『せーちゃん』になった。毎朝、まつさんが「せーちゃん、来たでぇ〜。おはようさん。」「あんたんとこの子ども、自転車乗って遊んでたで。おばあさんによろしゅう言うてな。」と声を掛けてくださる日が始まった。

?『せーちゃん』メモ
(『せーちゃん』は小学生の子どもが2人いて、野菜作りの上手な姑さんと同居している存在らしい。まつさんは『せーちゃん』の姑さんが作った『小芋』が好きらしい。家には垣根があり、まつさんの部屋から『せーちゃん』の家はよく見えていて、夜になると『せーちゃん』家の灯りを眺めているのが、まつさんの日課とのこと。)


しばらく入院されたまつさんは、睡眠パターンの変調が起こっていた。私のことは『せーちゃん』と新しく記憶されていたが、精神的に不安定だった。午前中はうっとおしそうな、抑うつ気分で来所され、そのままグッスリと眠られた。そして午後になるとお家に帰りたいとイライラされていた。 私は以前テレビで、認知症の患者さんが15時のおやつを屋外で食べるという番組を見たことを思い出した。屋外で日光に当たりながら過ごすと、体内時計が正常に働き始め、認知症の症状も軽減するとの内容だった。それを、まつさんにも適応できないかと考えた。この時は転倒による腰椎の骨折による退院直後であったため車椅子で移動されていた。その車いすのままで、部屋の東側にある畳コーナーにお連れして、日向ぼっこをして頂いた。 初めは、とても不機嫌そうなお顔で、目を閉じて半日日向ぼっこをされていた。意欲低下を起こしていらっしゃる方の典型的な表情で、ベッドで横になられたり、起床されては「帰りたい・・・。」と訴えられる日が続いていた。4日ほどすると、まつさんの表情がかわった。しっかりと開眼され、コミュニケーションがスムーズになった。朝は、トレードマークの眼鏡をかけてこられるようになり、午後になるとオレンジ色の歩行器でゆっくりと歩かるようになった。コーヒーを「おいしいな。」と飲まれ、昼食は「食べられるかな・・・。」と言いながらも8割摂取されるようになった。でも腰痛に苦しまれる日はまだしばらく続いた。まつさんの状態が改善してきていると感じた私は、日向ぼっこを続けた。 なんとか安心してデイに来てほしいと思ったので、陽射しがあまり入らない日は、つま先だけでも日光に当たっていただこうと、狭い空間の中でクルクルとまつさんの向きを変えていた。そんなある日、まつさんが、「調子ええわぁ。」と言ってくださった。日向ぼっこを始めて1週間くらい経過した日だった。「ちょっと、歩く稽古するわ。」と言われてオレンジ色の歩行器でトコトコとデイルーム内を散歩されたのだ。歩行スタイルは安定されていて、再び平行棒にも挑戦されていることもあった。私はまつさんに「まつさん、調子がよくなったのは、日向ぼっこをされていたからやわぁ。太陽に当たるといいんて!」と、そのままお話した。すると、まつさんは「ヒクッ」と眉毛を動かして、「ほーかー!ほな、日に当たらんならんなぁ。」と言われた。その日から、日向の席で日光浴をすることが、まつさんの日課になった。
まつさんがデイ利用のリズムに慣れて改善されたのか、日光浴の効果か、とらえ方によって違いはあるが、でも日光浴をされ始めてから、改善傾向が加速したことはまちがいないのである。そして、トンチの効いたまつさんの「絶口調」ぶりは、花を咲かせるのである。


まつさんがとても気に掛けていらっしゃる利用者様がいらした。その方は昭和生まれでまつさんよりも15歳ほどお若い女性の方で、転倒されて両下肢が不自由な状態になり車椅子生活の方であった。口数は少なく、他者との交流を強く望まれない方だった。そんなMさんを、まつさんはいつも気にしておられた。 Mさんとまつさんは、送迎車が同じになることが多かった。まつさんは、椅子に座られているときは円背と腰痛に配慮してクッションを使用していた。そのクッションは、まつさんは黄色で、Mさんはピンクだった。そして、なによりまつさんは同じような体型をしていることを喜んでおられた。「このおばさんも、小さいなぁ。」とうれしそうに、ニコニコと話された。並んで座っていらっしゃるお二人を後ろからみると、椅子の背もたれの上から、ひょっこっとわずかに頭が見えた。頭の形もそっくりで、双子のようだった。 Mさんもまつさんと同じように、コーヒーが大好きであった。まつさんは「コーヒー、よんでよ。」と言われ、Mさんは「コーヒーならよばれるけど?」と言われ、並んでコーヒーを飲まれていた。まつさんはMさんに、「おばさんも、コーヒー好きか?遠慮せんと、よばれ。」と言われた。Mさんは「別に、遠慮してないけど・・・。」とボソッと言った。まつさんには聞こえておらず、ニコニコをMさんのことを愛しい目で眺めておられた。雑誌を見ていると、ご自分の分だけではなく、Mさんにも手渡されるなど、まつさんはかなりMさんに心配りをされ、その事で生き生きとされていた。 しかし、Mさんは違った。トイレ介助に入らせていただくと、「あの、おばさん、なんか・・・。あんまりな・・・・。」とポツリと言われた。席順の変更をお伺いすると、「別にええけどな。」と言われ、元のまつさんの隣の席にもどられた。そこにはうれしそうにMさんを待つ、まつさんがいた。Mさんは「あはははは・・・。」と苦笑いした。まつさんが好意的にされている姿が、Mさんの思いとは異なり、私はとても切なくなった。でも、まつさんの思いは強くなり、ついにMさんと一緒にお昼寝をしたいと言われるようになった。「せーちゃん、昼寝するんやったら、あのおばさん、誘たって。あのベッドで一緒に寝るわ。」と言われた。 当時のデイサービスは今のように2部屋なく、1部屋だったために、常に寝場所が不足していた。まつさんもその事は理解されていた。だからきっと、気を使ってくださったのだと思うのだが、調度Mさんへの思いと重なったのだ。まつさんが先にベッドに横になった。続いて、Mさんが横になった。普通は並んで休まれるが、お二人とも小柄で円背があるので、ベッドを枕側と足側半分に分けた。つまり、一人の頭はベッドのヘッドレストにあるが、もう一人の頭はベッドの中央にあることになる。でもまつさんはとても喜んだ。「はよ、おばさん、ここやで!」とMさんに声を掛けた。Mさんは寝場所もないこともあり、仕方なくそのベッドを使うことを了承してくださった。
そして、お二人が介護用ベッドに左右分かれて休まれた。 Mさんの方が先に目を覚まされた。「気になって、眠れない。」と言われた。本当に申し訳ない状態であった。しかし、まつさんは熟睡された。一時間休まれて起床されると、「あの、おばさんは?」と気にされた。Mさんは早々に引き上げて、テーブル席で頬杖をついてコーヒーを飲んでいた。
次の日、またまつさんはMさんをお昼寝に誘った。まつさんは、「ほな。」と言い目を閉じると、間もなく「スースー」と寝息が聞こえる方であった。Mさんは、苦笑いされながら、まつさんのベッドに横になった。すると、まつさんの足がピョコンと伸びてMさんの背中をかすった。Mさんは「かなん・・・。もう起きるわ。」と言われ、コーヒーを飲んだりパズルをされた。しばらくして、熟睡していたまつさんが目を覚ました。「あのおばさん、早いなぁ。」とニコッと笑った。私は「Mさん、あんまりお昼寝はしないんだって。」と、まつさんにバレないかとドキドキしながら話した。まつさんは、「ほかぁ〜。おばさんも寝たらいいのに。また、誘てあげてよ。」と言われた。まつさんはMさんと、とても仲良くしたいと思っていらしたが、Mさんの思いもあり、まつさんがMさんを昼寝にお誘いしても、「は〜い。」と答えるだけで、ベッドにMさんをお連れすることはなくなった。しばらくして、デイサービスが2部屋になりまつさんがMさんを誘われることはなくなった。また、Mさんは再び転倒され入院されることになった。まつさんが楽しみにしておられたお昼寝は叶わなかった。


まつさんは、人情派だ。その人をとても大切にしてくださる。「現代の希薄な人間関係」とよく言われているが、それとは全く反対で、昔から続く人との付き合い・出会いをとても大切にされる。限られた地区の中で生活していくためには、いろんな苦労があったと想像できる。だからこそ大切にされているのだと思う。
ゆうらいふデイサービスは中学生の職場体験や、ヘルパーの実習生を受け入れている。中学生の場合は2日連続で実習に入るため、2日目の最後の挨拶の時は涙を流す生徒が多い。一人一人の利用者様に握手をしながら、挨拶をしていると、自然と涙を流される。中学生がまつさんの前に立ち、握手をしながら、「2日間、ありがとうございました。」と言うと、まつさんは顔をクシャクシャにしながら「おおきに。おおきに。元気でなぁ。あ゛――――!」と泣かれてしまわれた。まつさんの顔を見た中学生は、またまた泣いてしまう。そんな時に限って、デイサービスのBGMが「タイタニック」だったり、「別れの曲」だったりして、CDの早送りボタンを慌てて押したものである。 デイサービスの夏祭りで、変装しようという企画がある。ゆうらいふデイのスタッフは変装好きが多いが、夏祭りをなるとさらにやる気に拍車がかかるのだ。ウエディングドレスや白むくを着ることもある。ある日、私がウエディングドレスを着る当番の日がやってきた。いまだ独身の私にとっては、緊張してしまうドレスだ。他の利用者様も、「いっぺん、一緒に写真撮って。」と言ってくださる。白むくの時はまったく動きがとれず、利用者様よりも手のかかる移動になり大変だが、それも楽しんでしまっている。 私がドレスを着て、まつさんのところに行くと、「あ゛―――!ええ、花嫁さんやわよー!」と言いながら、目をウルウルされていた。「せーちゃん、嫁に行くんかぁ?元気でなぁ。無理はあかんで。あ゛―――!めでたいけど、淋しいなぁ。あ゛――――!」と顔をクシャクシャにしながら泣いて喜んでくださっていた。
  でも、ここで問題がうまれた。『せーちゃん』が独身だとわかっていらっしゃったのだ。私は、「まつさん、私、誰かわかる?」と聞くと、「せーちゃんや。」と答えてくださった。もう一度、「まつさん、私、嫁に行ってもいいの?」と尋ねた。『せーちゃん』は子持ちだから結婚するのであれば、一度離婚しなければならない。まつさんは、「ええ。かまへん。よかったな。」と言った。私は思い切って話した。「まつさん、私は今浜に住んでいるせーちゃんじゃないって知ってる?」と話した。するとまつさんは、「知ってる。あんたの顔を見ると、せーちゃんじゃないってわかってても、せーちゃんて呼んでしまうんや。」と言われた。 私はかなりの衝撃だった。まつさんは私が『せーちゃん』でないことをわかっている。でもその時状況で『本当のせーちゃん』と思っていらっしゃたり、『愛称 せーちゃん』と思っていらっしゃたっりする。この切り替えがすばらしい。でも、この切り替えはそれほど長くは続かなかった。
まつさんは、新しいスタッフやヘルパーの実習生に「せーちゃん呼んで来て。」と言っても、相手は理由がわからないので、「あの人は、高木さんですよ。」に正直に答えてしまう。でもまつさんは挫けずに「せーちゃん、呼んで来て。あの子、子どもいるのに、遅くまでここにいたらあかん。」と話す。さらに混乱する新人や実習生は「あの方は、独身ですよ。高木さんですよ。」と言ってしまう。まつさんは目を丸くして、「ええ!せーちゃんと違うのか!?」と、頭の中を真っ白にされてしまわれていた。私がまつさんの所にくると、「せーちゃん、この人、あんたが独身やて思てはるわ。よー、言うときや。」と言われるようになった。 こうして、『せーちゃん』の生活にどんどんと漬かり始めたのだ。


朝、まつさんが歩行器を押しながら、デイルームに「どなたさんも、おはようさん!」と笑いながら登場する。(朝、登場するまつさんは、神々しい。) その朝は、入り口近くの席に、まつさんと同じ地区の方がいらした。その方は地区の中では、近所付き合いが薄く、また好意的には受け入れられてはいなかった。だから、デイサービスの中でもその噂は広まり、孤立しがちであった。(以下Aさん) まつさんは、Aさんの横を通過するときに「Aちゃん、おはよう。あんたも来てたんかぁ?(笑)」と声を掛けた。私は、だれもAさんには声を掛けることはなかったのに、「さすが、まつさんだ!」と感動した。私はうれしくて、「まつさん、Aさんもいつも来てくれますよ。」とまつさんに話すと、予想外の答えが返ってきた。・・・・・「ふん!」と鼻で笑い「せーちゃん、あれ、Aやなぁ?ああやって、声だけかけておけばええやろ。ふっふっふっ(笑)」と。 そして、「あんた(私)も付き合いは下手やろうし、こうやったら上手くいくわぁ。あれ(Aさん)は嫌われ者やし、あんまり気に掛けると自分が悪なる。全く気に掛けないのも、あかんこと。せーちゃん、気つけやぁ〜。ふっふっふっ。」と話した。まつさんの奥深さを痛感した・・・。


まつさんは、いつもすばらしい食欲で、快食してくださる。食べている最中でも、味のチェックは忘れない。「せーちゃん、今日は水臭いなぁ」とか「今日は上手いな。あんたの分もあるか?」とか、いろいろ審査をすることは毎回かかさなかった。 いつも通り、まつさんが食事の審査をしていると、「せーちゃん、あそこにあまってる弁当、はよ、包みや!」と、背中を向けて立っていた私にこっそり話かけた。私は、「まつさん、アレ、まだ食べてない人の分なん。私の分もあるかなぁ〜?」と返した。するとまつさんは「そやったらかまへんけど、あんたは昔から、遠慮ばっかりして損ばっかりやろ・・・?奥さん(当時デイだった笠本部長)には、話たるさかい、包んで持って行き!」と言う。・・・・まつさんは、私をどう理解しているのか・・・・?


ある日、まつさんは「せーちゃん、あのな・・・。」と手招きをして、私を呼んだ。その内容はまつさんの、世の中を泳ぐ知恵だった。 「せーちゃん、あの昆布のおばさん(当時の守沢所長)と、奥さんやったら、奥さんの方が上(組織上で)やろ?」と言われた。「奥さんには、ちゃんとしておかんと・・・」と話し、奥さん(笠本部長)を手招きした。急によそ行きのキリリとした顔になり「いつも世話になりますな。」と、上品に挨拶された。奥さん(笠本部長)にあいさつが終わると、ふっと表情が「まつさん」に戻り、「こんでええやろ。ふっふっふっふ(笑)」とためながら笑った。隣でずっこけている私に、「何がおかしいや?こうやってしておくと、奥さんにな・・・・。ふっふっふっふっ・・・」と、低い声で話した。もしかしたら、私を心配してくれていたのかもしれない。 (ちなみに昆布のおばさんとは、いつも守沢さんが、まつさんにおつまみ用の昆布を内緒で渡していたから、まつさんにとっては「昆布のおばさん」として命名されていたのである。)


まつさんは職員の役割分担を理解されていた。
守沢さんは「昆布のおばさん」。笠本部長は「奥さん」。石原所長(当時はデイサービス職員)は「ボン」。そして私は「せーちゃん」だ。 この石原所長「ボン」との挨拶は独特だった。「ボン」とまつさんの交信というべきものに近い。ある日「ボン」が、右手人差し指を一本立てて、まつさんに向かって、ゆっくり指し示した。「まっつぁん、指、こうやって?」と「ボン」が話すと、まつさんは同じ様に人差し指を一本立てて、「ボン」の人差し指の先に合わした。つまりは、映画『ET』の真似をしたのだが、まつさんは「何のまじないやぁ?ふっふっふっふっふ」と話した。 もちろん、まつさんは映画『ET』のことはご存じないが、石原所長と二人だけの挨拶というかシグナルに近いものを楽しんでいらした。いつも「ふっふっふっ」と笑いながら人差し指を立てて、「また、まじないかぁ〜」と笑いながらお付き合いしてくださった。


私がまつさんのトイレのお手伝いを始めてさせて頂いた日の話し。
私はその日までまつさんと一緒にトイレに入ったことがなかった。まつさんに教えてもらいながら介助させていただいた。
便器の前まで誘導し、まつさんの手を離した。
○せ「まつさん、終わったら呼んでください。」
○ま「せーちゃん、(ズボンを)下ろしてもらわな、あかんでぇ。」
○せ「あっ!わかりました。」と言い、ズボンとリハビリパンツを下ろし、便器に腰を下ろして頂いた。 「じゃ、カーテンの外にいますね。」と話しそばを離れようとした。
○ま「かまへんでぇ。ふっふっふっふっ」
驚いたことに、まつさんは私に話しをしながら排泄された。戸惑う私に、
○ま「こんな、おばあは困るか?」とニコッと話した。
まつさんは他の利用者の方とは違い、トイレの中でも開放的だった。
なんと、トイレの中でご主人との思い出までしてくださった。ちょうど、音楽療法の途中であったためトイレの中に童謡が聞こえてきて、のんびりと二人でトイレにこもっていた。

・・・・戸惑った出来事であった。


いつもまつさんはベットサイドで過ごすことが多かった。この日はたまたま、他の利用者様と一緒のテーブルに着席されていた。まつさんは、ニコニコと他の方と談笑されていた。その時、大きな声で「せーちゃ〜ん!!」と呼ばれた。私が「はい」と返事をする前に、「えーーー!あれ、おまっちゃん、看護婦さんの事、せーちゃんて呼んではるわ!」とBさんが言い切った。私はかなり焦った。まつさんの傍に急いだ。そのホンの短い時間の間に、まつさんはBさんから攻撃を受けていた。まつさんは、泣き出しそうな顔でベッドに移動され、コロンと横になった。 まつさんは「・・・・・あんた、せーちゃんと違ったのか・・・・?」と、話された。私は 「はい。ごめんさない、まつさん。」と言うと、まつさんは「そうか・・・。かまへんで、せーちゃん。」と言った。 私は「せーちゃんて、呼んでもらうのがうれしかったんやぁ・・・。ごめんね、まつさん。」ともう一度謝った。まつさんは「せーちゃんて、呼んでもええか?」と言ってくださり、そのままお昼寝をされた。 1時間後、まつさんは目を覚ました。いつも通り「せーちゃん、昼ご飯食べたか?」「あんた、子どもはどうもないの?腹空かして待ってるんやろう?」といつもの会話をしてくださった。認知症はあるが、まつさんは1時間前の事をちゃんと覚えていて、私に気を使ってくださっている様にも思えた。その理由は次のまつさんの言葉で確信した。ムクッと起き上がり、 「あの、Bはっ!!きつい事言うわよ!」と言いながら、Bさんをジーと注視していたのだ。Bさんがまつさんにとって、嫌な思いをさせたことをしっかり覚えていらした。しかしBさんは、まつさんと同じ地区の方であり、昔からよく知る仲である。お互いにそれ以上に言い合うことはなかった。Bさんも「おまっちゃんは看護婦さんの事、せーちゃんて呼んで頼りにしてるさかい、あんじょうしたっておくれやす・・・・。」と私にこっそりと話してくださった。 そして次の日からまた「せーちゃん」の日が始まった。


@昼食準備
先にも述べた通り、まつさんは昼食の時にはなかなか厳しい評価委員になってくださる。まつさんは料理が得意で、漬物は本当においしかったそうだ。また、厨房の仕事をされていたので、デイサービスの昼食には関心が高かった。 スタッフが昼食の準備を始めると、まつさんは「何か手伝おうか?」と声を掛けてくださった。歩行器を使用しているまつさんにとって、昼食準備は困難だった。そこで、その日の利用者様分の割り箸を準備していただくことになった。「今日は24人です。」と割り箸の束をお渡しすると、「24やな」としっかり束を持たれ、一本一本数えてくださった。下唇をかみ締めて、掛けている眼鏡は『鼻めがね』になり、『職人』の表情になっていた。 まつさんはスタッフに「こんなおばあが来ても、何の役にも立たん・・・。いつも寄せてもろてもええのか?」と話されていた。『ボン』が「まつさんは『ゆうらいふの皇后様』やで、居てもらうだけでいい。」と話すと安心されていた。「せーちゃん、『皇后様』やて。来てもええらしいわ。」とうれしそうに私に話してくださった。働き者のまつさんだから、いつも気に掛けていた事だった。だから、何か役割があることはまつさんにとって、デイサービス利用の目的になることであった。もちろん他の利用者様も、そうである。みんな、自分の存在を再確認して生きる糧とされているのだ。 まつさんは割り箸を数えることを大変熱心にしてくださった。何回も数え直しておられた。体調の悪い日(軽い脱水状態の日や、下肢痛・背部痛の強い日)は、途中で「今日はあかん・・・。数があわんわ・・・。」と止められていたが、大半の日は確実に数えていらした。 この割り箸係りと同じくらい、大切な係りがあった。それは、キッチンの周りで休憩しているスタッフのタイム管理だった。まつさんが「しゃべってばっかりおらんと、働きやぁ〜。」とポツリと言うと、上司が注意するよりも即効性があった。またおかずやお茶の加減もまつさんに聞くのが一番だ。コーヒーも、インスタントコーヒーやクリームや砂糖の加減にこだわりがあり、その都度まつさんにお聞きしていた。でも、そのやり取りが私達にとって楽しく、「まつさん、いかがでしょうか・・・?」と話しかけて、その返事と笑顔を見たいがために、まつさんにコーヒーを作ったものである。「薄いなぁ。まだまだや。」と言って頂いても、「おいしい!」と言っていただくのと同じくらいうれしい!! まつさん、私達に付き合って下さってありがとう。

Aまつさんのおやつ準備
他にもまつさんの日課があった。
それは、利用者様に提供する「おやつ」の準備である。ゆうらいふデイサービスには2部屋あり、レクリエーションの内容によっては、部屋を移動することがある。大半の利用者様は、レクリエーションを楽しみにしておられ、時間になると「あっちか?」と話ながら部屋を移動される。 しかし、まつさんは違った。レクリエーションには参加されず、お昼寝をされているベッドの端に座り、「ここにいるわ〜」とコーヒーを飲まれていた。まつさんには、レクリエーションよりも楽しみにしていることがあるからだ。それが「おやつ準備」だ。他の利用者様が見ている中では「おやつ」の準備をしたりキッチンの片付けをしたりすると、それを快く思っていない方から厳しい言葉が掛けられることを知っておられた。だから、レクリエーションで外出やお部屋の移動があるとうれしそうに、『残り組み』を選ばれた。 当時のデイでは、『あんドーナツ』が好評だった。そこでまつさんに、あんドーナツが20個入った菓子袋を4〜5袋を預けた。調理場で勤務していたまつさんであるから、手をウエルパスで消毒することや、手袋をすることは何のためらいもなく、逆にそれをして当たり前という感じだった。手の支度が整い、ワーカーにエプロンを用意してもらって、『まつさん』の完成である。まつさんは「うっふっふっふっふ」と貫禄の笑いを見せた。私達も「まつさん、お願いしますっ!」とお願いした。 まず、まつさんは「はさみ」で袋をカットして、ゴルフボール程度の大きさをしているドーナツに手を触れないように袋を傾げる。そして、下唇を噛み締めて、目標のお皿の位置を2回ほど確認して、袋を「コトッ」と揺すり、お皿めがけて「コロコロ〜」と袋の中から転がす。すると1個ずつ見事にお皿に着地するのだ。歩行器を使って移動していたまつさんであったが、この時は何の支えもなく、ご自分の力だけで立位を保持して、なおかつ目的のお皿にドーナツを転げ落とすという高度な行動をされていた。時々、ドーナツの転がる速度が速く、お皿から出て行ってしまうと「出できよった!!」と、残念そうにポツリと話された。コロコロと転がり、テーブルも転げ落ちてしまったドーナツをジーっと見つめ、「せーちゃん、あれもろとき!」と言われることもあった。スタッフが笑うと、「あんたらも、落ちたのもろて帰りや。」と話された。 あんドーナツの次は、串団子だ。5本入りの串団子のパックから、一本ずつだしてお皿に盛り付ける作業だ。意外と、パックに入っている団子は重い。まつさんは椅子に座り、自分の膝の上にパックをのせ、上半身をめいっぱい使ってお皿に盛り付けたてくださる。でも、1皿だけ2本乗っているお皿があった。「うっふっふっふっ」と笑い、そのお皿をまつさんは自分の所に置いておいたのだ。「あーーー!まつさぁ〜ん!」と笑うスタッフに、「何や〜?」と笑うまつさんだった。他の利用者様が戻られ、おやつの時間が始まると、まつさんは「お先に。」と言い食べてくださっていた。すると「せーちゃん、あんたの分やで」と2本のうち1本を私に渡してくださったのだ。びっくりしている私を見て「どーもない。はや、よばれ。」と話された。私が食べずに渋っていると「あかんのか?ほな、包んで帰り。」と、カバンからガーゼのハンカチを出してくださった。(そのハンカチに包んで帰りなさいという意味だと理解している。) 当然、私はお礼を言いお断りをしてお皿を下げたが、大変驚いた事であった。 次回からの団子の日は「せーちゃん、あんたの分は(用意したら)あかんのやな?」と確認された。その時、デイに登場したのが当時の次長(現局長)だ。「あれ、新聞屋か?」と勘違いされていたが、しばらく次長と話されると、「団子の1本て・・・。2本くらいにしたらどうや?」と次長に交渉までしてくださっていた。 仕事を終わらせたまつさんは清々しくコーヒーを飲み、おやつを食べて、帰りの送迎に備えてトイレに行かれていた。

Bお茶碗洗い
ゆうらいふデイサービスは、厨房がない。だから食べ終わった食器類はケアーワーカーやナースが片付けている。スタッフの昼食休憩は、前半・後半というように半分に分かれてとっているため、後半に昼食をとるスタッフが口腔ケアや食器の後片付けを担当する。 その当時、私はいつも後半に休憩ととっていたため、利用者様が食べ終わられた食器を片付けることか多かった。下膳後、昼食摂取量をチェックして、シンクに食器を置いて洗い物を始めると、これもいつものことだが、ベッドで横になったまつさんが「せーちゃん、はよ(昼食を)よばれー」と声を掛けてくれる。「ありがとう。」と返事をすると、まつさんは眠っていかれる。これが『いつも』の習慣だ。 その日も『いつも』の「ありがとう」の返事をした。しかしこの日はまつさんから「奥さんにしてもろたらええし、置いとき。」とまた声を掛けていただいた。この時間、奥さん(笠本部長)は前半のスタッフと昼食中で、前半と後半のスタッフが交代する時間までにどれだけ多くの洗い物を済ませておくかで、3時のおやつ提供の時間まで影響してしまうという、私にとってかなり慌しい時間だ。だから、私はまた「ありがとう。まつさん。やかましいことする(洗い物する)けど、ごめんねぇ。」と返事をし、洗い物と格闘し始めた。しばらくして右側の背後の方から何か近づいているのがわかって、洗い物をしている手を止めて振り向いた。すると、まつさんが独歩でヒョコヒョコとバランスをとりながらシンクに近づいていた。 「まつさん!!」と私が声を出すと、「んっふっふっふっ」と笑いながら私の隣に立たれた。まつさんは小柄な方で、私の(身長158p)胸くらいまでの身長で、円背がある方だ。シンクは160pの身長用に作られているので、やや高く、まつさんのちょうど頭スレスレの高さだった。私の隣に立ったまつさんは「あかんわ!届かん!!」と言い、ベットにまたヒョコヒョコとバランスをとりながら戻られた。ベッドにストンと腰を落とすと、「はぁ〜!せーちゃん、背が届かんわ!あんたに任すし、はよ、終わらせてご飯よばれ。」と話されて、コロンと横になりウトウトされた。 まつさんは、このような事をそれから2回ほど試みられていた。

Cトイレ終了後 ・・・・デスク前通過・・・・
私の勤務内容は、主に午前中にバイタルチェックで、午後からは連絡帳の記入などの記録に時間を当てていた。まつさんも当然理解されていて、まつさんがよく使われていたベッドと、私が主に使うデスクとは調度、デイの部屋南北の対称の位置にある。しかも間を遮るものは何もなく、ベッドからはいつもまつさんは私の仕事のはかどり具合を見ておられた。まつさんがトイレに行かれてベッドに戻る途中に「せーちゃん、宿題できたかぁ〜?」と話しながら、移動されていた。 時々、まつさんはデスクの前で立ち止まり、歩行介助しているケアーワーカーに「せーちゃんのそばに行く?」と声をかけられ、「ニコッ」と笑い、私のデスクの前の椅子に腰掛けた。そして「せーちゃん、手伝うわ。」と言われた。当然、連絡帳をまつさんにお願いすることは出来ず、何をお願いするかしばらく考えた。目の前のあったバイタルチェックの用紙がとめてあるバインダーとハンコをまつさんに「まつさん、ここの欄にハンコを1個ずつ押してください。」と手渡した。するとまつさんは「ここやなぁ?」とニコッと笑い、受け取ってくださった。 ハンコの印の面を1回確認してから、「ここか・・・。」と話しながら、スタンプされた。一枚につき15箇所ある用紙であるが、まつさんは往復2列押すと、
「せーちゃん、だいぶ出来たし、あんたもはよ帰れるな!んっふっふっふっふ・・・」と話された。「えーーーー!」と驚く私を見て、また 「んっふっふっふっふ・・・。おかしいか?」と言われた。 私が、「ごめんね、まつさん。私、ここの片付けがあるし、時間まではおらなあかんの・・・。」と謝った。まつさんは残念そうな顔をして、眼鏡の奥から私を眺めた。
「そうか・・・。手伝ってもあかんのか・・・。あんた、ほんでも子どもが腹空かして待ってるのにええのか?おばあさんがしてくれるのか?はよ、帰って、子どもに(夕飯を)食べさしたり。」と話された。 しかし、その次の日も、まつさんは午後、トイレの帰りにデスク前を通過すると、私のデスクの前に腰をかけた。「今日はどうや?んっふっふっふっ。」と話されるのが、いつもの会話になった。

Dまつさん、飛行機に乗る!
繰り返しになるが、この当時のまつさんは歩行器を使用されていた。送迎は大型車(9人乗り)が常時であったが、人数の関係でリフト車(別便)での送迎の日もあった。リフト車の乗り降りは通常の乗降動作でよい利用者様と、リフトで乗降される方とおられる。まつさんは歩行器を使用されているから、歩行器につかまりスタッフと一緒にリフトで上がる。これが、まつさんにとっては『飛行機』だった。 帰りの送迎時間が近づくと、「今日は、飛行機か?」とスタッフに確認されいるのも、まつさんの習慣だった。


ある朝、まつさんがいつもの様に、神々しく来所されたとき、「せーちゃん、後から来てや。」と話された。私は「はい。」と返事をして、バイタルチェックが終了してからまつさんが待つ席に行った。まつさんは、 「せーちゃん、オムツとって。」と言われた。私は驚き、かなり動揺した。利用者様でリハビリパンツを使用されている方は多い。でもそのパンツを「オムツ」と表現される方は初めてだった。大半の方は「使い捨てのパンツ」や「リハビリ用のパンツ」等表現される。「オ・ム・ツ・・・?オムツって何?」と私は戸惑ったまま、まつさんに尋ねた。すると、何の抵抗もなくまつさんは答えた。 「そうや。オムツや。私が履いてるパンツやないか。せーちゃん、このオムツ知らんか?」と逆に尋ねられた。私は「まつさんがこのパンツって、知っとるけど・・・。オムツって言われてビックリした。」とそのままの気持ちを話した。「んっふっふっふ。オムツはオムツやろ?」と笑いながらあっさりと言われてしまった。その「オムツ」が入っているまつさんの黒いカバンをとり、まつさんに手渡した。まつさんは、おもむろにカバンを開けて、他の利用者様がいらっしゃることは気にされずに、リハビリパンツを一枚出したのだ!!私は「えーーーー!」と言い、まつさんが出されたリハビリパンツを手で覆った。『なんと解放的なんだろう・・・。ひょっとして認知症が進んだのか・・・・。』といろんな推測が頭を過ぎった。まつさんは、 「せーちゃん、どうしたんや???ちょっと、手どけて。」と言われた。 「えっ?!まつさん、みんなから(パンツが)見える!」と、小声ながらも必死に答えた。 「見えたらかなんか?今日、内緒で持ってきた物があるんや・・・。」とリハビリパンツを広げた。「まつさん、パンツ広げたら、よくないかも・・・。」と、どうにも止まらないまつさんのパンツを広げる手をあきらめて離した。 「こないだ、買い物に行ったやろ?(この前日、ららぽーとに全員で買い物に出掛けていた。)あの時、息子も嫁もなんにも教えてくれなかったから、お金も持たずに来てしもたんや。もう、あんなことがないように、昨日息子がくれた小遣いが5000円あるさかい、今日は2000円持ってきたんや。今日は喫茶店に行くんやな。これで、食べたいもの食べるんや。Bちゃんもいるやろ?(ややけん制している表情で、にらんでいる。)嫁さんに見つかるとうるさいし、オムツの中に入れてきたんや!」と、かなりの覚悟だった様子で話され、その通りにリパビリパンツのちょうど陰部のところに、四つ折りにされた2枚の千円札が見えてきた。私は本当に驚いて、「へーーーー!」と叫んで、椅子に座っているまつさん膝の上に、額を当てて、まつさんの足元に座り込んだ。 そんな私にまつさんは「せーちゃんに借りてもええと思ったけど、あんたに悪いさかいな。夕飯の買い物して帰るやろ?そやのに、金がなかったら子どもにメシを作ってあげられへんやろ?」と冷静に話され、「オムツに隠してきたら、誰にも気づかれやんやろ?嫁さんがむこうの部屋にいってる間に、(お金を)入れたんや。嫁さんは知らんてるわ!今日は、喫茶店で好きなもの頼むで!」と意気揚々な顔に変わられた。まつさんの上肢、特に右手はパーキンソン症候群がある。同様に下肢にも歩行時パーキンソン症状群の症状が見られた。そんな体で、朝、必死にお金を用意して、リハビリパンツにはさんだと思うと、拍手をするしかなかった。 「まつさん、すばらしい!!」と私は言った。「んっふっふっふっ。そうか?(同居は)いろいろ気使うでぇ。あんたもそうやろ?」とまつさんは言った。 その日の午後、リハビリパンツに隠された四つ折りの2000円を持ち、まつさんは喫茶店に出掛けた。 しっかりとパフェを注文されたらしい。


ある日、まつさんがこう私に話をされた。「うちの嫁さん、選挙で忙しいんや。息子が選挙に出るさかいな・・・。」と話された。私は確かまつさんの息子さんは会社員だし、選挙って何か自治会の選挙かな・・・と思い、「まあ、大変ですね。何か、役をもらわれたの?」と尋ねた。まつさんはとても暗い表情で言われた。「今度ある市の選挙に出るんや。家に黄色い人が夜遅くまでいるわ。」 勘の鈍い私は、「まつさん、市長選挙のこと?」と、またトンチンカンな事を話した。市長選挙が終わったばかりだったし、市長のイメージカラーが黄色だったので、てっきりそのことだと思っていた。まつさんは目を丸くして「えええーー!!市長選挙!!!!そんなもんやったら、もうあかんわよ。もうひとつの方や。」と言われた。やっと、市議会議員選挙とわかった。せーちゃんは守山市民であるが、私は四日市市民だから、地元の話になるとかなり苦しいのだ。 「まつさん、すごいやん!息子さん、すごいね!」と言うと、まつさんは娘婿さんが出馬されていることを教えてくれた。「せーちゃん、泣いてるわぁ。」としょんぼりされた。「嫁さん、毎日選挙の車に乗って、忙ししてるわ。手ふってたら、せーちゃんも振ったってよ。」と言われた。 ちょうど、この時期からヘルパー2級の実習生が来所していた。1日の実習であるが、日替わりで50名ほど来所していた。まつさんは、その実習生をよく手招きしていた。まつさんに手招きされると、不思議と引き付けられてしまうパワーがあった。話はそれるが、私のデスクとまつさんが端座位をとられるベッドは直線状にある。その間をさえぎるものはなにもない。私が事務処理をしていて、ふと、顔を上げると、向こうのほうでまつさんが手を振ってくださっていた。まつさんの手の振り方は、皇族方の手の振り方で、なんとも言えない安心感があり、スタッフが癒されていることが多かった。そんな魔法の手を持つまつさんに、「おいで、おいで」をされると、初対面の実習生であっても、「はい。」と引き付けられてしまうのだ。そして、ニコッと微笑みながら、実習生に何か話しかけていた。 「あんた、守山か?」と尋ねられ、実習生が守山市内とわかると、「あんた、頼んだで。」と話されていた。まつさんも選挙のお手伝いをされていたのだ。当然、まつさんは『せーちゃん』にも「あんたも言うてや。名前は○○やで。毎晩、○○って書く稽古してるんや。かなんけど、仕方ない。応援したってや。奥さん(笠本部長)にもあんじょう言うてや。」と、必死のまつさんだった。選挙権のない私に一生懸命になって話してくださった。まつさんはしばらくの間、「昨日も○○って書く稽古してたで。せーちゃん、頼んだで!頼んだで!」と毎朝、話されていた。 そして、選挙の投票日になった。投票日は日曜日だから、開票翌日の月曜日の朝にまつさんとお会いする。もし、残念な結果だったらどうしようと日曜の夜に心配していた。でも、その娘婿さんは見事に当選された。まつさんはデイに到着されると、「せーちゃん、おーきに。おーきに。もう毎日泣いてたわぁ。」と、目をウルウルさせながら喜ばれた。なによりも、まつさんが投票に行くために毎日、字の練習をされたことがすばらしい。


デイサービスの利用者様には、いろいろな認知症のタイプの方がいらっしゃる。でも皆さん、個人個人の歴史があり、十人十色の症状がとても勉強になる。 当時は、個人で商店を営んでいたCさんという方がいらした。その方の自宅は、今も営業をされており、服装や言葉使いはCさんが「社長」であったことを感じ取らせた。送迎車が一緒になる利用者様は『お得意様』で、その他の利用者様は『お客様』であった。スタッフのこともよくご存知で看護職の役割と介護職の役割を区別されており、介護職のスタッフには「おい、ちょっと、ちょっと。このお客さんになんぞないかいな?」と、接客を指導されていた。看護職には「おうちはこれが仕事やさかい、むこうの者にちょっと言いますわ。」と話されていた。社交的な方であった。しかしこのCさんも、認知症が進行していき、次第に混乱されるようになった。Cさんが苦手な時間帯は、レクリエーション前に行う机や椅子の移動だった。スタッフや『お客さん』が慌しく動くため、苦笑いはされていたが、状況の把握が出来ず、不安な表情になり、スタッフに今どういう事になっているのかと、厳しく問いただされる事が多くなった。 そんなCさんにとって、なぜか一人の利用者様だけが『従業員』と理解されていた。その方がまつさんだ。まつさんの指定席はベッドだった。テーブル席であったのが、いつの間にかまつさんはデイルーム全体を見渡される場所であるベッドで端座位をとり過ごすことが、習慣となっていた。しかしCさんにとっては、まつさんは従業員である。従業員が出勤してきて、接客もせずにベッドに腰掛けていたら、経営者としては『怒り』以外、何もないであろう。その怒りが、ある日の午後に爆発した。 音楽療法は室内に円形をとり利用者様が並ぶため、机と椅子の大移動が始まった。その忙しい時間に、ニコニコと微笑んでベッドに腰掛けているまつさんは目立った。Cさんは『従業員』のまつさんに注意しようと立ち上がり、まっしぐらにまつさんの元に行った。後で聞いた話だが、Cさんはずっと前からまつさんのことが気になっていたらしい。体調が悪いのであれば、出勤しなかったらいいし、なぜベッドに一日中いて接客もせずに昼食だけ食べて帰っていくのかと、許す事ができない怠けた従業員で、なんとかして他のお客さんに接客してもらえるようにテーブル席に座らせたかったとのこと。確かに、まつさんだけベッドはおかしいし、Cさんから見れば「食い逃げ」に見えるだろう。この日以来、まつさんはテーブル席に戻ることになった。 そのCさんが、まつさんに向かって歩いていき、形相険しく、まつさんに怒りをぶつけた。思わずCさんは、まつさんに手を出されたのだ。気がついたスタッフがすぐにCさんを止めに入ったが、やはり男性の力にはかなわず、飛ばされた。次々とスタッフが止めに入った。Cさんが殴りかかろうとされる手が、まつさんの肩に触れて、まつさんの体が揺れた。でもまつさんは表情は硬いまま、ジーとされていた。男性スタッフ(ボン)が気分転換のためにドライブへと、Cさんを誘い出した。騒ぎがおさまると、まつさんはオレンジ色の歩行器を押して、デスクにいる私の方へ向かって急ぎ足で歩いて来られた。まつさんは半分泣きかけていて、「せーちゃ〜ん!!!さっきのおっさんが、ヤラシイ顔して!やらしい顔したおっさんが来たぁーー!」と、避難されてきた。 まつさんは、デスク前の椅子に座り、しばらくうつむいて落ち込んでいらした。「せーちゃん、もう明日から来んとくわ。もう、あのおっさんの顔、かなんわ。」と言われた。まつさんに「ここに座っていたら大丈夫やし、まつさん、来てな。」と話した。しばらく、こんな会話が続いた。その時宅急便が届いた。電話帳3冊分程度の大きさをしたダンボール箱だった。私はまつさんにその箱を渡して、開封してもらうように頼んだ。まつさんは、宛名が書いてあるシールを丁寧にはがし、次にガムテープをはがした。30分ほどかかった。中からは、注文してあった口腔ケア用の歯ブラシが出てきた。まつさんが「せーちゃん、歯ブラシや・・・。」と言った。私はサンプル品で2本ついていたおまけの歯ブラシをまつさんにプレゼントすることにした。まつさんは「おおきに。ええのか・・・・・?」と2本の歯ブラシを眺めて、ご自分のカバンにしまった。 「せーちゃん、こんなことでよかったら、また来るわ。これくらいなら、できる。また明日もくるわ。」と笑った。そして、いつもの食欲でおやつのみたらし団子を食べて、帰宅された。 次の日からまつさんの席は移動した。Cさんは一度は納得されていたが、午後になりまつさんがベッドで休まれると、Cさんはイライラされていた。でもその都度、Cさんに説明して、まつさんとCさんがこの日の様な目に合う事はなかった。


まつさんのADLは徐々に低下した。まつさんの相棒のオレンジ色の歩行器は、まつさんのADLには合わなくなり、手引き歩行になっていた。パーキンソン症候群の症状は目立ち、歩幅の縮小が強くなり、立ち上がり動作に介助が必要になり始めた。また、昼食の時に、お箸で食べることよりも、スプーンを使われることが多くなった。 認知症も比例するように、進行されていた。午前中はニコニコと笑顔があり、コミュニケーションがスムーズだった。しかし、午後になるとイライラが現れて、周囲の状況判断が上手くいかずに不快な思いをされていた。環境の変化にバランスを崩されて、ショートステイや他のデイサービスを利用された翌日は、表情が硬くなっておられた。 昼食はそれまでと同じように快食されて昼寝をされていたが、1時間ほどして目が覚めると、口調は厳しく、「あれ、なにしてるんやぁー!」「やかましいどぉーー!」など眉間にしわを寄せて話された。スタッフが傍にいなくても、ブツブツと一人で話されていることもあった。そのイライラは、足の痛みに転換されることが多くなった。また、この頃よりも1,2ヶ月前からあったことであるが、午前中から痛みを訴えられるときもあった。お家でまつさんにとって不愉快なことがあると、腕や大腿部が痛んだ。
「まつさん、気分悪い?」と尋ねると、「ああーー!!悪い、悪い!!!」「痛い、痛い、痛い。足が痛い、痛い、痛い。」と話された。私はお家から預かっているシップ(モーラステープ)を、右大腿部に貼った。すると5分後に「せーちゃん、治ったわ。」とニコッと笑われた。でも周囲が騒がしくなると、再び表情は一転し「痛い、痛い。うるさい、うるさい。」と単調なリズムで繰り返される言葉が続いたのであった。 精神的なイライラが肉体的な痛みに転換されるのではないか、痛みに閾値が著しく低下するのではないか、と思い始めたのは次の様な理由からだ。 インテバンの塗り薬や、モーラステープで対応すると、異常なくらい即効性を発揮することだ。外用薬は経皮的に消炎・鎮痛効果を発揮する。血行性ではないから時間を要するのが通常だが、まつさんの場合はいずれの場合も、5分あれば十分に消炎・鎮痛効果を発揮したからだ。まつさんにとって、この手当てで安心することができたのではないかと思っている。自分自身の安心・安全・保護の生理的な欲求を充実されることができていたのであろう。 しばらくこのような日は続いた。「今日は、ゆうらいふに行ったら、せーちゃんがいるから看てもらえって、嫁さんに言われて来たんやぁ。」と言われることもあった。朝の準備する時間は、当然のことながら高齢のまつさんにとっては、体のリズムと異なり不快な思いをされていたのであろう。まつさんだけではない。デイサービスを利用されている利用者様でも、私の認知症の祖母もそうだった。まつさんも朝の慌しさを敏感に感じ取られた日は、お家を出ることを渋られていたそうだ。そこでお迎えに伺ったスタッフは「せーちゃんが待ってるから・・・。」と声をかけてお連れしていた。まつさんはその言葉をしっかりと覚えていらして、私の顔を見ると急に泣き始めることもあった。「せーちゃ〜ん。泣いてるわぁ〜。」「あ゛―――っつ」と泣かれていた。でも、そんな時でもシップを腰や大腿部に貼るとピタリと精神的に安定され、ニコニコされていた。


まつさんはのADLは、デイサービスで入浴が必要な状態だった。円背であるため、ウエストのラインの皮膚が重なりあってしまわれており、常に密着することで清潔が保たれにくい状態にあった。そのため、トイレ介助のときにまつさんの腹部から、蒸れた臭いがしていた。ベッド上で側臥位になっていただいて、微温湯と石鹸で腹部のしわの間の汚れを洗浄することも、このころから行っていた。また、同様に陰部の汚れも気になり、トイレで陰部洗浄を行っていた。下肢の筋肉量が低下しているのは、見た目でも十分のわかる状態であったので、お家での入浴は大変だろうと推測できた。入浴のあるデイサービスの利用が開始され、ゆうらいふデイサービスの週6回の利用から週4回になっていた。認知症に伴う気分の変動も激しくなっていた。 まつさんは他のデイサービスとゆうらいふデイサービスの認識は保たれていた。当時のケアマネだった奥さん(笠本部長)がまつさんにショートの利用を勧めるとき、まつさんは苦笑いされていた。娘さんの息子さん(外孫さん)が北海道で結婚式を挙げるために、まつさんの息子ご夫婦が留守にされるとのことで、出来たばかりの新しい施設に初めてのお泊り体験となった。ショートご利用前日まで、「せーちゃん、ホテルに泊まりに行くらしいわ。一泊、いくらするの?」と私に話していらした。もちろん介護保険の一割負担分の金額をお話しすると安心されたが、「そのくらいのホテルやったら、せーちゃんのところに頼んだらええのに・・・。」と話されたこともあった。 ショートステイが終了し、またゆうらいふデイサービスをご利用になる日がきた。来所されてすぐにまつさんに声を掛けに行った。「ああーーー!せーちゃん、泣いてたわ〜。汚いホテルでご飯がまずい!もう、泣いているわー。」と言われた。そのまま、ケアマネの奥さんに伝え、次回からそことは違う施設に変更となった。「せーちゃん、初めのホテルは行ったらあかんで。あんたも泊まりに行ったらあかんで。今度のホテルはご飯がうまいしええとこや。」と話された。以降、月に何度かショートステイの利用が開始された。


まつさんはよく「魚はどうするんや?」と言われた。午後気分が落ち着くことがなく、不快な思いをされていると、「魚はどうするんや?今から間に合うのか?」とイライラされながら繰り返して話された。私は「仕事の帰りに寄って、今日はアジを買っていくわ。」と話すと、「ほな、頼んだで。うちの分も6匹あったらええさかいな。」とまつさんは答えた。でも、その会話は帰りの送迎時間まで続いた。私が途中で魚の名前を変えると、「ええ魚やないか!さっきと違うなぁ。」と指摘を受けることもあり、気を抜くと、魚を間違えてしまい、まつさんを混乱させることになった。日替わりで魚の名前を変える必要があった。緊張感が大切な仕事である・・・。まつさんは食材を大切にされていたから、シジミと言われるときもあれば、肉と言われることもあった。 「京都まで、持って行かんならんか?」「大阪まで行かな、間に合わん!」と話されることもあった。午後になると目を閉じて左側に傾きながら、このような事をよく話された。(単調な一定のリズムで話続けられるために、周囲の利用者様からは『読経』と間違われることもあった。)でもこの時のまつさんには「せーちゃん」の認識はほとんどなかったが、私に激しく怒りをぶつけることはなかった。


この日はいつものように、大型車(9人乗り)でお帰りになられた。ところが、デイサービスの送迎車の到着時間と、お家の方との時間が合わず、まつさんのお宅は留守だった。裏口や開いている箇所を探してお部屋にお連れすることもあったが、この日は全て施錠されていた。送迎担当のスタッフはまつさんを再度デイサービスにお連れした。「また、世話になりますな・・。んっふっふっふっ・・・。」と話ながら、入ってこられた。17時を過ぎており、まつさんもやや疲れていた。表情は険しく、冗談を話される余裕はなかった。どうにかしてまつさんの気が紛れる方法はないかと考えた。私はまつさんがよく「ラーメン、食べに行かへんか?」「餃子、美味いなぁ〜」「カニは美味い!せーちゃん、予約してきてや。」とか話されているのを思い出した。デイサービスにあった『マグヌードル』を用意した。チキンラーメンの小さいラーメンだ。 「まつさん、ラーメンどうやろ?」と声を掛けると、 「ええのか?買ってきてくれたのか?・・・・よばれるわ。んっふっふっふっ。」と言い、お椀に入ったマグヌードルをツルツルと食べ始められた。最初のうちは、フォークで食べておられたが、途中から手で食べられた。とてもおいしそうで、また楽しそうだった。「あんたらも、見てんと、はよ、よばれ!」と横目で周りのスタッフを気にしながら、ラーメンを食べていらした。 しばらくして、お嫁さんがお迎えにいらした。まつさんの顔が、『姑』の顔になった。 次の日、まつさんはラーメンの事を覚えていらして、「せーちゃん、次は野菜も入れてや〜。」と話された。


まつさんの認知症はさらに進んだ。『せーちゃん』といわれる事は少なくなり、笑顔も少なくなった。「あいたの、あいたの、あいたの・・・・。」「これこれこれこれこぉ〜れこれ。」「いとさん、いとさん、いとさんよ・・・・。」「先生の、先生の、先生の・・・。」「津田先生、津田先生、津田、津田、津田・・・。」などの独り言が増えた。「独語」というべきものであろうか・・・。でもまつさんは、その繰り返される言葉に強弱をつけたり、行動で「快・不快」を表した。不快な事があると「おまえは、おまえは!!!」とか「あんたよりも、私が痛い!!」「おまえの顔が憎い、憎い、憎い!!」「はよ、はよ、はよ、はよ、はよ。」など話された。昼食前の体操の途中では「はよはよはよはよ」と早く終わってほしいと表現されていた。イライラが強すぎるとスタッフにそのイライラを転換させて、つねったり団扇でチョップしたりしながら、解消されていた。 また、歩行は極めて不安定であった。手引き介助で歩行していても、左右に傾いた。調子が悪い日はスタッフが2人介助でないと危険だ。座位の時も、左右の傾きがあり、ポジショニングピローで姿勢を整える必要がある。 口腔機能に関しては比較的保たれていた。まつさんはもともと義歯がないので、歯肉で咀嚼されていた。その鍛え上げられた歯肉で、『きんぴらごぼう』でも『海老フライ』でも食べておられた。歯磨きについてはブクブクうがいが出来なくなった。それまではどんなにイライラされていても、ブクブクうがいはガーグルベイスンにしてくださり、スタッフが介助することで歯磨きは成立し、入職したばかりのスタッフが歯磨きをさせて頂いた時は「あんじょう磨いてやぁ。」と話される余裕があった。しかしこの頃からは、ブクブク用のお水をそのまま飲み込まれたり、歯ブラシが口の中に入ることを大変不快である表情をされ、スタッフの腕をつねっり、顔に手を掛けたりされた。また、口の周りの筋肉が弛緩し唾液がポタポタと零れ落ちる状態が常時だった。でもよくお話し(独語に極めて近い状態であるが・・・)をされる事と、よく噛まれる事により、唾液はサラサラで舌に舌苔はなくきれいな口腔をされていた。 そんなまつさんが状況把握ができずに苦しまれていたり、お辛い表情をしているのを目にすると、過去の記憶でまつさんが現実を実感できる思い出はないかと考えた。まつさんが好きなコーヒーや、チーズも『チャンネル』を変えることに役にたった。 ある日、まつさんは朝からイライラが強くお辛い表情をされていた。私はまつさんの外孫さんが結婚されて初めての子どもができた事を知った。そこで「まつさん、○○さんの所の△△クン、今度お父さんになるんてね。おめでとう、まつさん。ひ孫さんやねぇ。」と話した。するとまつさんは急に泣き始めた。「ああ゛――!」と泣いてしまわれたまつさんに、私は「まつさん、よかったね。おめでたいことやねぇ。」と声をかけると、さらに号泣されてしまった。まつさんは号泣しながらこう答えた。「おめでたいことがあるかぁ?なんにもめでたいことないわぁ〜。14や15で父親になるなんて、そんな不幸なことがあるかぁ?」と話した。そのお孫さんは27歳であるのに、まつさんの記憶の中では14〜15歳で止まっていたのだ。私は驚いて、まつさんに、「△△クン、もう27歳になってみえるんよ。外孫さんはあんまり会うことがないし、まつさん中学生やと思ったんやねぇ・・・。」と話した。
「27か・・・。ほな、どうもないな。中学はあがったのか。よかったな。」と泣く事をピタリと止めてしっかりと答えられた。それまでの内側にこもったイライラを感じておられるような表情は止まった。結果として、まつさんのイライラは止まったが、その過程は失敗だった。


まつさんの胃腸はお元気だ。認知症が進行する前から、まつさんのお通じはすばらしい。円背で腸が下垂していることは、大きく張っている下腹部から考えられ、当然便秘ぎみになっる。他の利用者様も多くはそうである。しかし、まつさんは違う。バナナ様の便が3〜4本程度排泄される。だから、便意を感じるとイライラが急激に起こる。量は多いときのイライラは更に激しい。 この日もそうだった。独語が激しくなり、ご自分から立ち上がろうとされ、便臭もあった。私とケアーワーカーのKさんは、二人でまつさんの歩行介助をしてトイレにお連れした。いつもはパンツを下ろすと同時にやや軟らかめの便がスルスルっと排泄されるのに、この日は、便器に腰掛けてもなかなか出なかった。まつさんは「ん゛―――・・・。」と力んだ。でも排泄されなかた。「あ痛の、あ痛の、あ痛の、あ痛の。お前はなんや?はよはよはよはよ・・・。」と攻撃的な口調で話され、便が出ずに気持ち悪い状態であることがわかった。まつさんは手すりに掛けていた手を、私の肩に掛けた。するとその手が私の首に回ったのだ。「えっ?!」と思ったら、まつさんは首に回した手に力を入れて、私の首を絞めたのだ! 私は「まつさん、苦しいぃーー!」と言うと、「お前も苦しいけど、私はもっと苦しいんや!あほ、あほ、あほ、あほ。」とまつさんは言った。私はとりあえず、便が出たら開放されると思い酸欠状態を我慢した。すると見事な便が出た。続いて、やや緩めの便も大量に出た。便臭でいっぱいだったトイレの中であったが、気道が確保されたので思いっきり深呼吸した。安心した私の顔を見て、まつさんは「はよはよはよはよ。」と早くトイレから出たいことを話された。私とワーカーのKさんは、まつさんの服装を直し誘導し始めた。しかし、まつさんはまた私の首に手を掛けた。まつさんの爪が、私の首にグッと刺さったので、「まつさん、痛い。」と言うと、「お前も痛いけど、私はもっと痛いんや!あほ、あほ、あほ、あほ。」と同じことを言われた。首の周囲にはまつさんの爪の痕が残った。今、考えると、その緩かった便がまた出そうで、気持ち悪かったのかもしれない。とにかくこの時期は「お前の顔が憎い、憎い、憎い!」などいろいろ不快な感情を教えてもらった。まつさんが認知症の進行に一番苦しんでいらした時期であった。


まつさんの食欲、食へのこだわりは、一緒にいて楽しい。「せーちゃん、今晩ラーメン食べにいこうか?」や「餃子、つくるけど、あんた野菜を持ってきてんかぁ〜?」「(カニ鍋の)カニに『まつ』って書いてや。」など、大衆的なメニューで沢山お話をしてくださった。朝「せーちゃん、昨日の夕飯は何を作ったんや?」と聞かれ、「昨日は豚肉で肉豆腐を作ったわ。」と答えると、「ええ?なんで、ウチには届いてなかったんやろう?んっふっふっ。」とまつさんが言われる、このやり取りを楽しませて頂いていた。 ある日、スタッフが別の方のトイレ介助の途中で、尿で靴下を汚染させてしまったので、ビニール袋に靴下をいれて、シンクの下に隠しておいた。その靴下を見て、まつさんは、「せーちゃん、あんな所に唐揚げがおいてあるし、取って。」と言われたことがあった。たまたまその靴下は茶色だったので、唐揚げに見えなくもない。まつさんは食べ物に見えてしまうのだ。他にもある。 黄色いタッパーがテーブルカウンターに置いてあった。まつさんは「せーちゃん、美味そうなたくあんやなぁ。一つ、よんでよ。」と言われた。私は「まつさん、これタッパーやわぁ。」と言うと残念そうに「そうか・・・。タッパーか・・・。たくわんはないのか。たくわんくらいあってもええのになぁ。」と話されたことがあった。また、私のズボンのポケットにはいつもボールペンが入っている。当時、黄色い4色ボールペンを使っていた。そのボールペンを見つけたまつさんは、「せーちゃん、ええもん持ってるなぁ。そのチーズおくれぇ。」と言われた。確かに、スティック型のチーズはボールペン程度の太さと長さがある。私はまつさんはすごいと思った。まつさんの年齢の方でなかなかチーズを連想される方はいない。また、物だけではなく、言葉も食べ物に聞こえてしまう。バイタルチェックの時に私が「35.9℃ですね。」と私が言うと、まつさんは「昆布とキュウリか?」と言う。「血圧はいつもと変わりませんわぁ。」というと「鮭とイクラは上等やなぁ。」と言われる。「そのスルメ、おくれ〜。」とビスケットを取られることもあった。そんなまつさんだから、一旦食べ物に見えてしまえば、危険なものでも口に入れてしまわれることが考えられた。 ある日、七夕祭りの飾り付けを、午前中の個別レクリエーションの時間帯に行っていた。ケアーワーカーのIさんは、デイサービスでアイデアマン的な存在で、この日も七夕様へのお願いを☆型の短冊に利用者様に書いていただき、天の川を連想できる様にと、天井から☆を吊り下げていた。利用様もスタッフも天井の星を見ていたとき、私ともう一人のナースが天井から目線を下ろし、なんとなくそのテーブルに目をやった。すると、完全に蓋が開いている画鋲のケースがあり、その前に座っているまつさんの口が膨れているのだ。「ま・さ・か!」と思い、二人でまつさんの口を強引に開けた。悪い予感は当たり、まつさんの口の中には、4〜5個の画鋲が入っていたのだ。グローブをして、まつさんの口の中に指を入れて、画鋲で傷がつかないように一個づつ出した。 出血がないことを確認したが、胃内に落下していれば、咽頭・喉頭・食道・胃と、画鋲で傷がつき出血してしまう。私ともう一人のナースOさんは、胃穿孔を考えた。急いで、1階の診療所にお願いをして、X線をお願いした。どの角度の写真からも画鋲の影は映らなかった。二人で「はぁーー!」と安堵の気持ちでよろんでホッとした。 スタッフにこうなった経緯を聴いてみると、ケアーワーカーのIさんはまつさんがいらしたテーブルに画鋲のケースを置いた。しかも、その画鋲のケースは蓋が完全に開いていたのである。スタッフにまつさんの食欲は大変よく保たれており、周囲の物品に注意が必要であると再度申し合わせた。まつさんはキラキラとキレイな画鋲が、とてもおいしそうな物に見えたのだ。金平糖だろうか?それともべっ甲飴だろうか・・・?まつさんは何に見えたか教えてはくれなかったが、口の中に入れたときに、違和感と感じられたことが申し訳なく思っている。まつさんが、一番楽しみにしている食事を嫌なものにしてしまった。そして何より重大な事故になる手前であった。まつさん、ごめんなさい。


まつさんの認知症と身体状況は更に悪化した。それに伴いまつさんのサービスはデイ中心から、ショートステイ中心に移行した。他のデイサービスご利用されているので、お会いするのは月に1回〜2回程度の時もあった。今までは、まつさんのカルテは順調に枚数を重ねていたが、両面書きのカルテ一枚が埋まるのに、4ヶ月近くかかるようになった。
ちょっぴり、「せーちゃん」としては淋しいが、まつさんがゆうらいふに月1回でも来てくださるのは、本当にうれしい。 この頃のまつさんは、独語が減っていた。「いとさん、いとさん、いとさんよ」「これこれこれこれこ〜れこれ」というような、独特のおしゃべりはほとんど聞かれなかった。驚いたのは、朝デイに到着すると非常に穏やかに微笑んでいたことだ。独語が盛んだった頃は、表情が厳しいことが多く、まるで頭の中で何かと戦っているみたいで、とても苦しそうだった。その苦しそうな表情はなかった。見る人が変われば、「無表情になった。」と言われるかもしれないが、どこなく安心した穏やかな表情をされていた。
「まつさん、おはようございます。




HOME  | サイトマップ | プライバシーポリシー 

〒524−0103 滋賀県守山市立田町1231-4
TEL:077-585-4070 FAX:077-585-3472
 

特定非営利活動法人ゆうらいふ
明日はわが身〜これがasuwagaです〜 すごいぞ田舎暮らし おせっかい焼き大集合!あるある大発見!見守りネットワーク 老いても悪くないじゃん!認知症のことを知ろう あすわが日記帳〜認知症の方ご本人のブログ ご家族の想い 地域の見張り番 専門医からのアドバイス FAQ あすわがDVD 問い合わせ asuwaga.com