第15話
最期まで癌と闘い続けた若き自衛官の葛藤
2022年 3月 44歳で永眠
Oさんとの出会いは43歳の時、自身で介護保険の申請をして要介護2と認定され、車いすが借りたいとの相談であった。血管肉腫という、極めて稀で予後不良な癌と診断されていた。『絶対に癌に負けません』と、力強く話されたのが非常に印象に残っている。妻はまだ35歳、3人のお子さんは8歳、5歳3歳と幼い。
両親の離婚により生活は苦しく、大学進学を諦め高校卒業と共に自衛隊に入隊したと。それから25年『不条理なことは多々あったが、それを乗り越え今では数百名の部下をもつレンジャー部隊の鬼軍曹だ』と自身の仕事に誇りを持っている姿は、とても頼もしく感じたのを覚えている。
初めて訪問した2日後呼吸苦で入院したが、医師から「治療は出来ない。1か月以内の余命」と言われ、
『治療が出来ないのなら家に帰りたい、子供達と一緒にいたい』と強く希望され、妻も『帰って来て欲しい』との意思を見せたことから、入院3日目退院カンファレンスをして退院した。
在宅酸素14L、医療用麻薬を使い、自宅での妻と子供達との生活が始まる。訪問入浴も利用。退院後40日目で、妻の疲労感がピークに達する。『もう無理』との妻に、ずっと側にいなくてよいことや気分転換に出かける事を勧める。自身の気持ちを夫に打ち明ける様勧め、亡くなってから後悔することがない様助言する。『トイレにおりれなくなったら入院する』と本人は決意していたが、妻の『やっぱり家にいて欲しい。日常の中に夫がいる事に慣れてきた、ここまできたら最期まで看たい』長男の『家にいて欲しい』と泣きながら懇願したことで本人も『入院は保留にしたい』と話す。
退院後62日目にポータブルトイレに降りる事ができなくなったその日の夕方に自宅で息を引きとった。家族全員に見守られての最期だった。
本人は妻や子供たちにそっと手紙を書き置いてあった。『お父さんのことをいつまでも忘れないで欲しい・・・・』と。多くの同僚上司・部下が会いに来てくれて共に泣けた。最期の時まで強い父親として、多くの部下を持つ鬼軍曹としての人生は、苦しみからも解放され、笑みで締めくくられた。後日グリーフケアに訪問した時、妻は
『夫は最期の時まで家族への思いを手紙に託し、掛け替えのない”想い出”を残してくれた』『家族全員が今を生きる勇気を与えてもらってる』と。
苦しい中でも妻や子供たちへの愛の深さが忍ばれる。『今では大切な宝物です』と、妻は微笑み『家で最期まで一緒にいれてよかった』と笑顔を見せた。
ケアマネジャーとしての真髄とは❣本人・家族の人生に関わることの重みを改めて考えさせられる遭遇の時間であり学びであった。【ケアマネジャー深田記】