ゆうらいふエッセイ

最期は療養病床で!から妻と娘の希望で我が家へ!を叶えて生ききったK氏の2年5か月の頓智に富んだ日々

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最期は療養病床で!から妻と娘の希望で我が家へ!を叶えて生ききったK氏の2年5か月の頓智に富んだ日々

2022年8月84歳で永眠

K氏には退院前カンファレンスで初めて面会した。病院では寝たきりの状態でベッド上でオムツ交換、手は手袋で保護され・座位も取れず・食事も介助食だった。転院後入院3か月が過ぎ療養病院への転院を薦められた。妻と娘さんは悩みながら『できれば家で看たい』と。迷いながら在宅への退院を決めてくれた。在宅への準備を病院へ依頼し、座位での食事介助と車いすに乗れるようリハビリを依頼した。退院の日K氏は娘さんに抑制の手袋を外すよう指示し、看護師と握手して退院したと❣妻・娘さんは『びっくりでした』と話してくださった。

K氏は寺で生まれ父親が3歳の時に戦死した為9歳で修行するなど、寺を守る使命感は強かったと妻。教員をしながら住職をしていたが、60歳で教員を退職後、再度大学の聴講生として仏教を学び、布教師としての勉学も積んだとお聴きした。『最期は家で』との妻・娘さんの想いを受け小規模多機能サービスを提案した。泊り・通い・訪問を自由に組み合わせて、自宅での生活を基本に必要に応じて3つのサービスが利用できる。訪問看護の利用や医師の往診もでき、最期の時まで安心して暮らせる。職員と馴染みの関係ができる為本人・家族も安心である。退院後暫くは小規模で連日泊まりを利用した。食事は妻が柔らか食を購入し、最初は介助であったが自力で食べれる様になった。数十日経つと職員が車いすでトイレまで誘導するとトイレで排泄できるようになった。”我が家”に落ち着き、火曜は自宅・水曜から次週の月曜まで泊まる生活がパターン化していった。お腹が空くと「ご飯まだか」と大きな声で言うことも度々あった。人の見定めは厳しく、此の人は!と思うと難しい会話をされ、本を真剣に読む姿も見られ、利用者と団らんし笑談するまでに回復した。病院では寝かせきりの生活に合わせていたのでは?と。僧職であり人としての奥深さを感じ・対人サービスの計り知れなさを学んだ。事業所内で『人生最期の意向』を話し合った際、はっきりと「家がええ。命ある限り行きたい。」と言われ、天から与えられた命の尊さを最期まで持ち続けていると感慨深い思いを得た。2年が過ぎ認知症状の進行と共に発語は少なくなり、寝て過ごす時間が増えた。最期は娘さんの来訪を待ち、顔を凝視し静かに息を引き取られた。後日グリーフケアに伺いK氏の生活を振り返った。

妻より「最初はずっと預かって欲しいと思ったが、この家と寺はK氏の宝物。週に1回でも家に帰る事が出来て本当に良い制度だと思った」「家にいると多くの教え子が見舞いに来てくれた。後悔は何一つない」と。

自宅2階の広い部屋の中、仏教の本が所狭しと整理されていた。天寿を全うされたK氏とご家族の生き方に多くの事を学ばせて頂きました。深田ケアマネ記