第2話
夫から妻への最期の贈りもの
2015年 1年半の在宅介護・看取り
肺に腫瘍があると言われ検査入院し退院してきた妻(75歳)がおかしなことを言う、と相談に来たⅯ氏。家に訪問すると本人は多動的で勝手に玄関から出ていくこともあると。介護保険を申請し近くの通所介護を利用し始めたが、言葉が出ずらくなり歩行もおぼづかなく、脳が急に萎縮していくような症状にみえました。意思疎通も難しく病院受診しても検査ができず正確な診断はできないとの事でした。
Ⅿ氏は「今まで散々苦労を掛けてきた。どんなことをしてでも自分が介護をする」との覚悟を決められました。症状が進み歩けなくなってきて食事・排泄・着替え・入浴と介護が必要になってきます。着替えや排泄介助を夫に託すのは頑なに拒否されました。働きながら家事・子育て・家の管理と気丈に自分で仕切ってきた方が、夫の介護は受けたくない!申し訳ない?と全身で拒否されているようでした。
デイサービスでの入浴週2回・訪問看護週1回・訪問介護は毎日朝夕の訪問で在宅生活を続けました。毎日のように来るヘルパーや近くに住む長男の妻には笑顔を見せてくれるのに、Ⅿ氏が毎日食事を作り食べてもらおうとしてもなかなか食べてくれない日々も多々ありました。夫婦(男女)の役割分担が身体の内部に沁みついているのか?と。毎日来てくれるヘルパーにお愛想ができるのに、身近で日々側にいてくれる夫に冷たく当たるのはなぜでしょう。長い人生の複雑な想いをはかり知ることはできません。
室内移動ができなくなっても勝手に動こうとするので壁に布団を置いて危なくないように工夫もしていました。食が進まなくなり最期は主治医の往診で点滴をしても回復せず、終末期の意向を夫・長男・次男・主治医と話し合いました。
訪問看護・介護と長男・次男夫婦やお孫さんに囲まれて逝かれました。看護師によるエンゼルケアの後好きだった晴れ着に着替え、お孫さんに口紅を指してもらい美しいお姿となりました。
Ⅿ氏は今も月1回ゆうらいふの“心のオープンカフェ”に来て妻の話を懐かしく話してくださいます。「妻がいてくれたから今の自分がある」「家事だけでなく家計もきちんと賄い貯金を残してくれた。今も心配せずに暮らせている」「毎朝ご仏前にご飯をあげ月命日には毎月お参りしている」と言いながら“独りはさみしいよ”と。
“夫から妻への最期の贈りもの”は、妻との思い出と感謝の気持を持ち続けることなのだ❣と教えられています。
実は妻への最期の介護が、残された夫が一人生きていくための“妻から夫への最大の贈りもの”では?と思っています。素敵なご夫婦です。