ゆうらいふエッセイ

“最期の時を我が家で!”を叶えた家族4人の信頼の絆

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“最期の時を我が家で!”を叶えた家族4人の信頼の絆

2018年12月 14日間の在宅介護

 30歳後半に胃がんを発症し治療後4年目に転移。食道がんの末期症状で食道閉塞・腸瘻を設置し食事ができなくなる。気管が閉塞し気管切開しての呼吸となる。本人は「家に帰りたい」と強く希望される。本人の両親も奥様の母親も「こんな状態で家に帰るなんて…」と強く拒否。奥様は「結婚してからずーっと自分の思い通りに暮らしてきた人。酒と煙草は手放せず我がままに生きてきた人だった」と。高校受験の息子を抱えながらも本人の希望を入れ12月末自宅へ。
電動ベッドのレンタル・訪問看護師の毎日訪問と往診医で支援した。再入院するまでの14日間、奥様は「息子・娘と共に、本人の希望をすべて受け入れました。苦痛緩和の麻薬を利用しながら入浴は時間を構わず希望し昼夜をとわず入りたがりました。」

「煙草を吸い・ラーメンを食べてはカニューレから出し、本人の希望でタクシーでパチンコにも行きました」と。

「高校受験を控えた息子も父の入浴を手伝い、成人式を迎える娘の介助を受け、就職が決まった日を喜び・成人式を楽しみに過ごしました。夫の在宅生活2週間は今でも忘れがたい日々です。私や子供たちに『ありがとう』と言ってくれました」と。訪問看護師の訪問時も筆談で冗談を伝え和やかな時間を過ごした。再入院後10日後に病院で永眠されました。

 3年後訪問し仏間へ案内して頂いた。新しいご仏壇に優しいお顔をした仏様。大好きだった煙草がすぐに吸えるように箱から出し添えられていた。職業の制服姿と大好きな煙草を燻らす粋な姿の2枚の写真が置かれてあり心にジンときました。
 奥様より、「夫は家の長男として生まれ両親の期待を一身に受けて育ち、優秀な子としての役割を担い父の職業を継いでいた。強迫神経症と診断されたこともあったと聞いた。カッコ良い彼に惹かれ結婚し長女・長男を出産したが、夫は仕事人間で機嫌が悪いと妻・娘をはけ口として急に怒り出し怖かった。不思議と長男にあたることはなかった。ある日夫に『そんなに頑張らずに普通に暮らせば』と声かけすると、ふっと『そうか…』と言い息抜きすることもあった。でも20年間の結婚生活の中で離婚を考えたことは何回もあった。今回の闘病生活中も夫の母は病院では毎日つきっきりで、夫が拒否しても母は『私が看ないと』と、妻の私へ任そうとしなかった。」

「あの最期の時の夫と家族4人の生活がなかったら後悔したし今の自分はなかった。」

「今は一日一日を精一杯生きる活力を得て、共に生きています。子供たちが独立しても生きていけます」と。御暇する際、仏壇をお参りし”家族4人ステキなご家族ですね”と祈り、最期の時を悔いのないよう生きたことが”新たな生を得る礎”となる事を確信しました。