第8話
最期の時を“賢い息子の想い出”で生きた日々
2004年12月緊急入院後永眠
(第7話 成年後見人が”喪主”になるということ!からご覧ください)
85歳独居男性A氏、肺がんの進行で入院していた。本人は発病時から手術や抗がん剤等の治療は拒否していた。2003年夏、病院から家には帰れず特別養護老人ホームへの入所が必要となった。
実子へ連絡しても音沙汰なく市の申請で、成年後見人の利用となった。
家庭裁判所の審判を受け社会福祉士として成年後見人を受託した。退院と同時に新設の特別養護老人ホームへ入所できた。訪問し面会すると優しいお顔で接してくださる。
『息子は賢くてよく勉強ができた。京都大学を出て大学で働いている』とにこやかに話してくださる。
『いつも息子さんの事をほめています』とワーカーさんも嬉しそうに伝える。在宅で支援していた民生委員もよく面会に来てくださり、買い物など助けてくださっていた。民生委員と共に自宅を訪問すると、亡くなった奥様の写真が掲げられ十字架が置かれていた。民生委員より『奥さんは癌で亡くなったようです。積極的な治療はしないとの事で亡くなった。そのことで息子さんは父親と争ったのでは?』と教えてくださった。
施設入所1年半後の12月末、肺がんが進行し緊急入院した。病院へ駆けつけると医師に『延命治療は?』と聞かれた。妻も癌の告知を受け延命治療はしなかったこと、本人も肺がんの発病時より積極的な治療は拒否していたことの事実のみを伝えた。医師の判断で延命治療はせず死亡診断書を書いてくれた。亡くなった後も実子との連絡は取れず、家庭裁判所と相談して喪主として葬式・火葬を行った。近所の方々・施設の職員の方々など20人以上の方々が参列してくださった。涙を流して忍んでくださり、教会の牧師のミサを終え・お骨を納めに近所の方と自宅へ伺い、奥様の写真の前に安置することができた。
10日程過ぎ、家庭裁判所からの連絡で息子さんと連絡がつき財産の引き継ぎができた。銀行の貸金庫に納められていた財産目録には、息子が受取人の保険や息子名義の預貯金が書かれており、最期の時まで子への愛情深さが伺えた。息子さんへ『お父様はいつも息子は勉強が良くできたと自慢をされていたこと・周りを気遣っていたこと』やお葬式の時は多くの方が懐かしく忍んでくださったことを伝えた。でも、寡黙に淡々と終えた引継ぎであった。過去の暮らしの中で、父子の間にどんな葛藤があったかは不明のままである。本人は最期の時を賢い息子の想い出で生き、若いワーカーは別れに涙を流し、お骨は近所の方々に抱かれて自宅へ帰れた。
“今の現実を忘れて日々を過ごすことの幸せ”を教えられる体験でした。
後日、葬祭会館の職員の方に『今までのお葬式の中で、心温まるとても良い葬送の会でした。』と言われたことは、今も忘れられない想い出となっている。