ゆうらいふエッセイ

近江の旧家の長男としての漢気を貫いた生涯に寄せて

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近江の旧家の長男としての漢気を貫いた生涯に寄せて

2022年4月自宅で永眠

81歳T氏:令和2年、喉頭癌で咽頭摘出、抗がん剤・放射線治療を開始。気管切開は声が出なくなるので拒否されたが、翌年9月気管切除され筆談となる。病院で気丈に自律した生活をされる中、治療の難しさと体力の低下を実感し「家に帰りたい、畑が気になる。」「延命治療はしてもらわんで良い❣しんどくないように過ごしたい」との想いを、家族が受け入れ、令和4年1月に退院。自宅療養となった。

T氏の生涯を支えた妻より、「結婚した時は、両親と主人の弟3人の弁当作りや世話をしながら田畑を守った」「弟達が結婚するときは家を建ててやり、生活に困らないよう援助をした」「地域の人の暮らしぶりにも目を向け琵琶湖の汚染管理や自治会活動に常に心を寄せていた」「朝早くから夜まで暇なく活動している人だった」「私に対しても怒ることもなく穏やかに接してくれ良く旅行にも行った」「民謡が好きで夏になると江州音頭を歌いあちこちの盆踊りを盛り上げていた」―困っている人がいたら助けに行く人だったと。

産まれた家を守り、地域の暮らしぶりに目を向け、気になることは損得なく自発的に活動して、自分の思いを実践する人だった。

退院後3月末には友人宅で“桜を見る会“を催し、長男・次男・訪問看護師・友人等とティーパーティーができ、笑顔の日を過ごされた。お亡くなりになる一週間前の言葉『なんも思い残すことはない。ええ~一生やった!』筆談にて穏やかなお顔で綴ってくださいました。最期の日々を妻・長男・次男・孫娘二人の手厚く気持ちのこもった介護を受けて旅立って逝かれました。妻は当初「家で看れる?」と介護不安を持っていたが、息子2人と孫娘の協力、訪問看護、医師の往診と緊急連絡ができることに安心され、毎日の介護を継続された。
 お葬式の後、49日まではご仏壇の火を絶やさないようにと家で過ごし、訪問すると「主人はまだ家に居て、話しかけると側にいて応えてくれてるようです」と。「私はこの家に嫁に来るまで京都のデパートで働いていました。嫁ぎ先の風習に慣れるのは大変でした」と。昭和の時代はまだまだ”女”は嫁・妻・母として地域の慣習に従って暮らすことが当たり前であり、男も女も自分の意志は腹に納めて”家長として嫁として”なずべき事に従っての暮らしが当たり前であった。ご夫婦でそのことに誇りを見出し、見事に自身の意志で貫き通した生きざまに感服しました。

T氏は”世のため・人のため”の精神で日々を過ごし、妻はそのことを日々支えたことに誇りをもっているのだと!

家制度に抵抗してきた私は”良き妻・嫁”であった方の、夫無き後のこれからの暮らし方を気にかけ学びを得ていきたいです。