第17話
最期の日も仕事に生き 仕事しながら旅立った漢気!
2022年 X月 永眠
82歳N氏、前立腺がんの治療をしながらもイキイキと仕事をされていた。1年前抗がん剤の副作用による脱水症状で倒れ朦朧状態となり緊急入院したが、すぐ退院され仕事を続けてきた。
それから1年後の定期受診時、主治医に腎臓の検査値が悪いと言われ緊急入院となった。胸水・腹水もあり、酸素吸入と点滴が施行された。入院1週間後妻は『余命を告知され緩和病棟の検討を勧められた』と、おろおろしながら話してくださった。本人へも主治医・看護師が病状を説明されるも『どうもない、仕事があるから退院する!』との意向が強く、14日介護保険申請、15日退院カンファレンス、16日退院となった。17日介護保険認定調査に立ち会った。(要介護4)病院の地域連携室の看護師の配慮で往診医の調整ができ在宅療養の体制が整った。退院日に訪問看護と電動ベッドの利用調整をし、N氏は我が家へと退院した。
『家は良い❣』と頷き、ベッド上で堰をきったように仕事の事・仕事に繋がる人々との想いを熱く語り『こんなことしてられん…』と、早速携帯電話で仕事先へ電話をかけていた。
奥様によると亡くなる2日前まで時間を問わず携帯で仕事をされていたと…。21日早朝5時過ぎ、訪問看護師より「家族から電話があり訪問しました。往診医に連絡して臨終を告げられました」との連絡を受け8時過ぎに訪問した。庭にいた息子さん二人に声をかけると『立派なオヤジだった。尊敬している。親父の仕事は守っていく』と、兄弟でうなずき合い語ってくださった。『そう・・最期の時まで立派でしたね』と応え、家に入りご本人と面会させて頂いた。5年以上前から義母のケアマネをしていて懇意にしているご家族である。3か月前には、義母の『100歳のお祝いに総理から賞状と銀杯が送られてきた』と、家族全員で喜びN氏も誇らしげに銀杯をひも解いてくださった。
後日訪問し奥様に「お亡くなりになった当日、息子さん二人から『立派な父だった。尊敬している』と口を揃えて言っていました」と告げると「信じられない…私は一杯苦労させられた。いろんな仕事をしてきたので…』と、即座に答えられた。N氏は婿養子であり、家庭内でそれぞれが色々の葛藤の中で暮らしてきたと。
22年間ケアマネジャーとして多くの方々と、人生の最期の時を紡いできましたが、N氏のように
“自身の死”を最期の時まで意識することなく?ただただ“仕事に生き・仕事をし続けながら”の最期の日々
を目の当たりにして、不思議な感動に耽っています。今も命が尽きたことは認識せず『仕事・仕事』と携帯を手に仕事をされている姿が浮かびます。息子さん二人はそのような親父を尊敬していたのだと、納得している日々です。”命は誰のもの!”大きな学びを得ました。