第21話
ワシはワシらしく最期の時まで!人の世話にはならん!生ききったY氏
2023年2月退院・4月永眠
Y氏は僧職であり長年教職を勤め褒章を受賞されている。長年親交を深めてきたこともあり、夫婦が病弱になってから折に触れ見守ってきました。晩年は妻の介護をしながら夫婦で暮らしていたが、妻の介護が難しくなり2年前から独居となった。介護保険の申請をし要介護1となったが、頑なにサービス利用を拒否された。88歳の年ながら息子・娘の介入も拒みながらの日々を送ってきた。物忘れが進み炊事・洗濯・入浴等難しくなり、室内で転倒してもサービス利用は拒否された。時には車で買い物に行き、ひやひやの見守りだった。市内に住む娘・孫さんの見守りで何とか暮らしていたが1月半ば、親しい近所の方が家で苦痛を訴えているのを見つけ、家族に連絡し病院へ緊急搬送された。検査の結果、腹部動脈瘤の診断を受けた。本人は積極的治療を拒否し保存療法で2週間後退院となった。
医師の往診・訪問看護・介護、電動ベッド利用で独居生活となった。不穏症状も出てきた為通所介護利用を試みたが馴染む事はできなかった。ショートステイを利用したが経口摂取が難しくなり3月中旬・再緊急入院となった。入院中も食事ができず不穏状態が続いた。病院の好意で個室に移り亡くなる前日娘・息子さんとの面会ができた。
本人が息子さんへ『珍しいな』と声を掛けたと。翌日は妻と面会し『久しぶりやな』と言い手で足を指さし『足をさすって』と、母娘でさすってあげた。その夜永眠されました。「最期の時に弟とも母とも会えてよかった!」と娘さんより報告を受けました。お亡くなりになった翌々日お家に伺うと、息子さんが迎えてくださった。初めての面会で自己紹介して客間へ誘って頂いた。Y氏は客間のご仏壇の前に穏やかなお顔で横になっていらした。「お父様とは長い付き合いをさせて頂いています。色々お世話になりました」「お目にかかるたびに優秀な子供と孫であると話していましたよ」と、お伝えすると
「父は校長になった頃から厳しくなった。世間を気にして暮らしていました。それが辛くて敬遠してきました」と。「父の話しを聞いてくれてありがとう…」と、涙を流してくださいました。
長いお付き合いの中息子さんに逢ったのは初めてでしたが、涙を流しながら深く頭を垂れての挨拶を頂き、父との葛藤の深さをしみじみと実感させていただきました。
息子さんも教師・僧職であり、Y氏を家に迎え喪主として手厚くご仏壇を整え最期の時を見守っていました。残された家をしっかりと引き継いでくださるであろうと推測でき、ホッと胸をなでおろす事ができました。”終わり良ければすべて良し”家を継続する人がいれば親族の拠り所ができ安心です。最近戸主が亡くなると家・屋敷が空き家となり切なく寂しいお家が増えています。