第23話
最期の時まで”凛として我が意を通された”90年の生涯!
2023年5月永眠
A氏88歳女性(要介護2)3年前知人の紹介を受け本人と息子さんと自宅で面会「母はここで一人で暮らし、昼間は仕事を兼ねて此処にいます」と、息子さんよりの情報。糖尿病・心不全で入院し総合病院より退院してきた。本人は『一人で大丈夫…』と。夫が60歳代で亡くなり、近くの娘さんの訪問を受けて穏やかに暮らしてきた。心根がしっかりしていて趣味は編み物や彫り物をコツコツと手作りし楽しんでいた。地域の方々との交流は好きでないとの事でした。数年前に娘さんを病気で亡くされ息子さんが見守るようになったと。退院後、訪問看護と訪問リハビリで病状管理と生活の自立支援で過ごしてきた。一年後体調がよくなり母の故郷へ旅をしたいと車いすのレンタルを希望され、息子夫婦・孫とともに北陸の旅を楽しまれた。本人は『良かったよ!』とテラスで憩いながら笑顔で応えてくださった。
2年後心不全の症状が悪化し、ペースメーカーを入れる為の入院となった。病院で不穏状態となり『病院はイヤ』と。その時肺がんの診断を告げられたが、本人の意志を尊重し肺癌治療はしないと決め、利尿剤等の内服治療で退院した。徐々に肺・心臓・腎臓の機能低下が進み、全身(胸部や手足)の浮腫があり虚脱感が出てきて息子さんより今後の介護への相談を受け、一緒に病院主治医との面談に同席した。主治医より入院しても治療は難しい・本人の希望は?と息子さんの質問に応えて気持ちの整理を促し、迷いながらも往診医を病院で紹介されて選択し、在宅治療の継続を決められた。翌日往診医の訪問を受けて在宅酸素利用が始まり、訪問看護の毎日利用となった。まだ食事・排泄もトイレまで息子さんの見守りと歩行器で行えていた。訪問入浴利用は負担となり徐々に体力低下が進み、半座位の取れる電動ベッドに交換し安楽位を保ちながら40日の日々を息子さんの介護で過ごされた。不安をいっぱい抱えての介護であったでしょうが、病状変化時は主治医・看護師が速やかに駆けつけ、入浴ができなくなると清拭や足浴が毎日できることに”安心”を実感でき、食事も食べられるものを口にされていた。お亡くなりになる3日ほど前は夜間不穏状態となり、眠れなかったと。最期は息子さん夫婦、訪問看護師と主治医・ケアマネの訪問を受けて穏やかなお顔で永眠された。息子さんは、涙を浮かべて「どうしたらよいか分らん…」と。お嫁さんがお義母さんの好きだった服を探して下った。訪問看護によるエンゼルケアを受けて旅立たれた。
ケアマネとしては最初から自律した母と息子にドキドキの訪問でした。自身の意志をきちんと表明する方々のケアマネジメントのあり様を学ばせて頂いた。特に命を左右する医療(治療・入院・往診)の選択の相談支援の接し方は難しいです。