第28話
「我が家で暮らす」は当たり前!第14話O氏の最期の言葉
本人の強い想いで最期は我が家で永眠!
2024年1月
O氏93歳:本人の『この家で暮らすのは当たり前!』のゆるぎない思いを尊重し、毎月4泊5日・関東より娘さんが通い医療受診と金銭管理と介護を担う日々を6年続けられた。特に大きな病気はなく物忘れで要介護1から要介護3まで独りで暮し続けた。介護サービスは通所介護・訪問介護を主に、訪問看護は月1回で主治医との連携と内服管理や病状管理を行ってきた。食事は配食サービスとヘルパーの買い物支援を娘さんと共有しながら日々の生活を支援した。要介護3となった時、娘さんは父の独居生活を不安に思い「関東の施設や近くの施設利用は?」との模索を続けたが、迷う心を受け止め相談を重ね「父は母と暮らしたこの家が好きだし、いつもの所で寝て・台所・トイレに行けて良いんですよね」「馴染みのヘルパーさんは私より安心して任せられる…」と。父の穏やかな暮らしを大切に見守った。
2023年秋頃、物忘れが進みコミュニケーションが難しく怒りっぽくなってこられると、通所介護で過ごすのを「こんなところには来たくない…」と拒否された。管理職時代の威厳ある頃に返り「嫁さんが欲しいな~」「あんた別嬪やな~」の口癖は健在であった。家では居間のソファーで休み・すぐ隣のトイレに行き食事と煙草はテーブルでと…煙草は欠かさず置いていた。最期の一月は、毎日朝・昼・夕の定期巡回サービスと訪問看護で清拭・着替え・食事・見守りで暮らした。本人は自由気ままに過ごすことを望み、他人に指示されることを拒否された。年末年年始は娘さんが来てくださり、正月4日帰り際に「父がえらい・えらいと言いしんどそう」と言う言葉を残して帰った。1月6日ヘルパー訪問時体調変化の報告を受け、訪問看護と主治医の往診を依頼した「特に病状的に悪いところはないので血液検査をしましょう」と言われて・BNP検査(心不全マーカー)の結果が3000と出て主治医もびっくりされ、入院を進めたが本人は「入院はしない…医者は治せへんやろ…」と本人。
【人は死して名を残す・ミカンを食べて皮を残す】
とつぶやきソファーに横になった。娘さんに心臓がだいぶ弱っていることを連絡し、近いうちに来て欲しいと話し合う。娘さんは「私が4日帰る時はトイレに行っていた、主治医も2、3か月は大丈夫でしょう」と。唯々不安がよぎり『最期の時の診察・診断書の記入を主治医に頼むよう』連絡して帰宅を促した。1月9日娘さん帰宅・主治医へ『最期は家で…父の望むように…』と伝える。守山市版『終末期の事前指示書』を書いて主治医と話し合う事ができた。12日ベッド搬入・ゆったりと笑顔で横たわり、娘さん・親戚の方・友人・ヘルパーに見守られて夕方穏やかに永眠される。主治医もすぐに駆けつけてくださった。
~父は“ミカンが大好き”で自宅にミカンの木を植えていました~(娘さんより)