第31話
「まだ治療をしたい!」治療に期待を持っていたT氏の最期
2024年6月永眠 78歳
住職T氏とケアマネジャーとしての初対面は、亡くなる5日前でした。自宅に訪問時、在宅酸素をしていて、べッドで身体を丸め、息をするのもしんどそうだった。それでも「まだ治療を続けたい。息子に寺のことを教えないと…」と、か細い声で思いを告げられた。膵臓がんで抗がん剤治療を受けていたが「ここにいたら殺される。ここから追い出してくれ」と妻に懇願し、急遽退院したとのことでした。
私が訪問した翌朝に救急搬送されたが、主治医の診察はなく、別の医師から『異常なし』と言われ自宅に戻った。「こんな状態で1週間後の抗がん剤治療は出来ますか?」と妻が診察を受けた医師に尋ねたが、医師の返答はなかったそうです。結局長時間待たされ、救急室の固いベッドの上で寝かされ、納得する説明もなく帰宅して来たと!この状況を妻より聞き、S病院の地域連携室のナースと連絡を取り、在宅医師の必要性を伝えた。主治医も同意してくれ、自宅まで往診してくれる医師をすぐに決め情報共有してくれた。
介護保険でべッドを借りたが、10日前に介護保険の申請をされ訪問調査もまだ受けていなかった。急遽介護保険課に出向き、訪問調査を早めてもらうよう依頼し、救急搬送された翌日ケアマネ立ち合いで訪問調査を受けることができた。訪問調査の翌日に在宅医の往診があり、そこでT氏は医師に「緩和でお願いしたい」と言われたそうです。玄関先で妻が医師に余命について尋ねると「あと1か月ももたないかも…」と言われ、強いショックを受けたと聞きました。お亡くなりになったのは、在宅医の往診があった翌日の朝方でした。
数日後グリーフケアで訪問し、妻から「抗がん剤治療をし、本人も治療に期待をもっていた。だけど、往診をしてくれた医師に『緩和でお願いしたい』と言ったのは、自分でもう限界と感じたのだと思う。病院の医師はこんな状態でも治療を続けようとしていた。本当に本人の事を考えてくれるなら、もう治療をしても意味がないとちゃんと言ってくれたらいいのに!私もこんな状態になってるなんて思ってもみなかった。だから在宅医より『1か月持たない…』と聞いた時に足がすくんだ」と涙ながらに話してくれた。最期の時、T氏が妻を呼び「起こしてくれ」と言った。だが重くて起こせなかった。そのうちにだらんとしてきて…最期私を呼んでくれた、これが病院だったら一人ぽっちで亡くなっていたかも…家で良かったと。深田さんと出会えて良かったと言って下さった。T氏自身、思い残すことが一杯だったであろう!あまりにも短期間での最期に、妻も悔いても悔いても悔やみきれない思いが残っているのではと察する。が、涙を流し「最期一緒にいれたことが何より」と。その言葉を聴き少しホッとした。
ケアマネジャーとして時を逃さず、スピーディーに病院の地域連携室と連携する重要性・交渉力の必要性を改めて実感した。癌末期の方々の終末期は様々で、多くの人生模様を学ばせて頂いている。